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Journey of Nobel Prize for Medicine

ノーベル生理医学賞のすべてを少しずつ追う旅

目次

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Journey of Nobel Prize for Medicine のための戯言 (目次)

 

生物学者と医者はなんと嘆かわしい存在であることか。彼らに言いたい。

ヒトには左脳だけではなく右脳もあるのだよ、頑迷、コミュ障、あまりにも学問に寄りすぎて社会を知らない。彼らはどうしても、いてもたっても、左脳の方向にシフトしてしまうのが共通している。そういう別世界に生きているような人間でもある。

しかし、なんといっても因果なのは生物学者と医者が同じ細胞という題材を扱っているにもかかわらず、領域的にも社会的にも分断されている、ということだ。私はこの事実にとても嘆き悲しんだ。(もちろん科に入学する以前に偏差値でも分断されているのだが、これを言い始めると医者は勉強できるだけで偉そうだと嫉妬を生むし、塾に行けという話になってしまうので......)

どういうことかと言うと、生物学者は医者の技術を知らない。もしかすると生物学に日々没頭して、生涯をそれに費やして、それがいつしか成功してウイルスがどうやって子孫を複製しているのかについての権威になる。たくさん論文を書いて満足げなある日、突然目の前の人が心臓発作で倒れた! そしてその人は死んだ! もしCPRという心肺蘇生の方法さえ知っていればその人は助けられたのだが、たった数時間の講習でそれは理解できるほど簡単なのだが。私は悲しまずにはいられない。そもそも医学とは数多くの生物学論文と医科学論文によって裏付けられ、高度に構築されているのに、それに貢献した科学者は目の前の人一人助けられないのか? 医科学の最前線に居る人間が、最も医学の応用ができない。最も生物や細胞に詳しいのに、目の前の人間が死ぬことがありうると、なんのために研究をして居るのかという虚無感に強襲されないか。これが現代の悲劇の一つ。

また、高学歴理系人間、医師は廃人である(言い切る)。実際の医学部においては悲しいほどに暗記しかしない。はい、この病気にはこの薬を使っておきましょうね......。小児は1年でこれだけ身長が伸びるんですね、はい覚えときますね......。下垂体からは複数のホルモンが出ているんですね、ふーん......(思考停止)。という具合に学生のうちから外部から脳内へ向けての情報の侵襲、および知的爆撃爆風に常にさらされ、大事な青春は討ち死状態である。そして、暗記に走る。最も科学的であったはずのものが、暗記するだけという文系になる。こういう訳で、Nature、Cellといった生物学の英語雑誌は読めないし、Lancet、NEJMといった医学雑誌も読めない。元はと言えばこういう雑誌に書かれた事実から臨床の実際が定められていくが、その意気込みはどこへやら。福祉を守るために奔走して一日が終わると、「先生」というよりはむしろ福祉のための「一般雑兵」。

こうして、生物学者と医者の折衷案的なポジションが今日において見つけられない。ああ、なんという悲劇!

 

それでは、どうしてNobel Prize for medicineをここで取り上げるのか。悲嘆に暮れてのヤケクソか?いや、ちゃんと理由はある。

生物学者と医学の共存が実現して居るように見える、両方の知的好奇心が満たせる水準にあるのが、Nobel Prizeである。もちろん、これは選考理由とはなんら関係がない。ただの結果である。誰もが知って居る、iPS細胞は奈良で生まれて世界に羽ばたいたメイドインジャパンの代表例だが、生物学における革命であった。そして、かつ、今は加齢黄斑変性という病気の治験は行われて居る、理研もサイラもフル稼働(ノーベル賞を取るくらいだからそんなの当たり前、と言われれば身も蓋もないが)。生物学としても医学としても成功しつつある、そんな理想状態をノーベル賞の受賞内容は平気でやってのける。これが憧れなのだ。

 

もちろん、教授でもなんでもないから、間違ったことを書くかもしれないけれど、ね。私はただの学生である。とりあえずノーベル賞を100年分遡って見て、理想に浸ろうとする、ゆとり世代の一人である。

 

目次

1900s to 1930s  (2017年より執筆)

1940s to 1970s  (2017年より執筆)

1980s to 2010s  (2017年より執筆)

 

おまけ

1. 実験医学序説を読んで (2014年10月執筆)

2. 日本主要死因の変遷(2014年9月執筆)